lona-hallelujahの日記

人の成り行き “一度、あきらめた場所で”

小説「一度、あきらめた場所で」第2声

「一度、あきらめた場所で(来歴、往来)」

 

 

何かが再発したように感じた。

精神的なぶり返しの

辛かったあの時期の感覚

これまでの自分を後悔のものに変える感覚

 

自分の行為を肯定する手段を見失った——

 

 

彼にチャンスを与えてくれないか?

 

 

何かをしようとすれば…ますます散らばってゆく、木の葉は

追いつかず、うまくゆかない。

 

社会的な責務に耐えられなく、自殺した人は、異常ではない。

 

繰り返し、繰り返しの円環の中で、非常口に向かうことは異常ではない。

 

上の方から、下ってくる人が見える――僕に出来ることは道を譲ること。誰かの邪魔をしないようにすること。人に心配されるような雰囲気を魅せないこと。

「こんにちはー」

「ぁ…こんにちは」たどたどしく

中年期を過ぎた男性がすれ違いざま、不意に言葉を投げ掛けた。そこで交流が起きた。不意の言葉に反応できたことが嬉しかった。きちんと反応を投げ返すことが出来た。その満足。だが、僕の声は小さいから、聞こえたのか気になって病んでくる。昔はこれで、目頭が熱くなったりもしただろう。今はただ、時折の存在への言葉でさえ…

 

自分自身に気づかないのが、一番生きやすく、しあわせだ。

 

上を走る高速道路の夜景が田んぼに反射されている。だが、どちらも人工的な優しさで。そう思うと、頭がおかしくなってくる。僕の眼に映るものは、人工的な色映えだから、美しいんだ…穏やかな、気にしなくても良い夜を、知りたい。安心して眠っても良いんだ、落ち着いていい、僕のは素朴な感性だ。僕はいつか来た透明な歩廊を歩いている。いつか消えた道が再び、眼前に現れている。僕は戻ってゆく。幻か、夢かに――

 

 

どうやら、一周して戻ってきたみたいだ。

 

 自分の気持ちが一周して、戻ってきた。

 

 

 一昨年の夏ごろ、僕の都合で縁を切った友人からのメールだった。「よー。元気か?」

 

 二十一時五十九分。僕は運転中で、癖になっていた毎度のドライブコースを強い雨が車を打つ中、「死にたい」という想いで走っていた。そんな中でのメールだった。

 

 思いがけない相手からのメールだったし、何ヶ月も友達と会っていなかったから、返信には迷った。「だいたい元気だよ。元気?」実際は元気などなく、そのドライブで死んでも構わないと思う心を取り直しての返信。ただ、相手に気を遣わせるような内容にしたくないとの考えがあって、そのような内容にした。

 相手も少し間を置いて、返信が着た。

「元気か。それは何よりだな。元気にしてるかなーとメールしてみただけ。暇なら遊びに来いよ。俺がいってもいいけど。遊ぶ相手がおらんねん。」

 

 「僕も遊ぶ相手がおらんよ。来週にでも行くよ。来週の月曜日と火曜日は休みだから…どちらか都合が良ければ…」

 

 今年で僕は、二十八歳になる。

「大人」をしていると、日常の中で話される在り来たりの会話を繰り返し、言葉にする。彼のメールの言葉は、本物に思えた。本物の、本当の…在り来たりな例えになるが…心の底から溢れてきた言葉に感じた。繰り返しの日常の中で新鮮だった。

 その夜、遊ぶ約束はメールのやりとりで決まった。自宅へ引き返していた。助手席の窓をすこしだけ開けた。隙間から夜風を感じた。雨がほとんど止んでいた。心地よい空気が入っている。それは新鮮だった。

 

 

 第二章

 

 その友達は、ぶっきら棒な性格で、言葉数が少ない。あまり会話がないタイプ。

 

 「ただ一緒に居たい。」僕はそんな事を高校時代に野球部に入っていたとき、コーチが一年生部員を部室に集めて、なんでか憶えていないが、ひとりひとりの「恋愛観」を問い掛けた時に、答えていた。たぶん、簡単な打ち解け合いをしたかったのであろう。そんな記憶。それから成長して、詳しい考え方を身に付けてくると、それは子供な考えだな、と思うようになった。「そんなのはつまらない。」足りない恋愛観であると。

 

相手に多くを求めない。それは素朴で単純だが、でも十分だと思う。

 

 

その友達の変わろうとしない気持ちが嫌いだった。そんな僕の態度が、

 

心で交流が出来たのだと思った。

 

今年は自分の再確認の足取りをするように決めていた。もと来た道を辿り直してみよう、と。

僕はそこで、その友達と会って、何を確かめるのか? 一周し、周り戻ってきた僕は、何事もなかったのか? 成長した姿が? 転落した姿が? 多分その再会では、大した事は起きない。大した事を期待してはいけないんだ。大した事をやろうとしてもいけないんだ。何事も無く、人生は済まさなければならない、終わる時には。

 

 「そうだった、こいつはこんな奴だった…」と、嫌だった点を思い出してくる。引っ掛かりだった性格のことを思い出している。

 

向こうの仕事が都合よく終われば遊ぼうとの事だったのだが…結局、彼からの連絡はなく、遊び相手は消えてしまった。

 

そこで気づいた。

 

これは、徹底して独りに成ろうとする事なんだ、と。それが、良いのか、悪いのか、といった事ではなく、だから…そう、もう一度、人と…他人と交流を持ってみよう。現実に対して興味を持つことを覚えないと…歳相応の活き方を覚えないと…外れた時間軸に興味を引かれて、そのまま戻ってきてはいけないんだ。

 

もう一度、心を暖めてみる

 

 

第三章

 

活きる理由というか、「地力」が湧くような切っ掛けに成るものであれば、今はそれ自体がどう人生に連関してくるかなど、関係ないと思った。活力を欠く、精彩を欠いた現在の自分には、まず、動くこと。元気を出すこと。弾みと成る、切っ掛け。ただ、自分の磁場を生み出すもの。磁場を発生させること。自分の人生を続かせる装置。自分の日課と成ること。ただ、それだけ

 

詩 風通しを良くするもの

詩 滞留の解決策

 

 

第四章

 

何度も頭に浮かびは…消えてゆく、自分の活動方法。あるアイディアが思い浮かぶと、その熱に浮かれたように、やってみる気になる。だが、それは果たしてどの程度可能であるのかを検討すると、困難な理由を見つけるに当たり、気が萎み…消えてゆく。

だが、何度も、何度も、アイディアは訪れる。だから恐らく…自分は行動を欲しているんだという考えに至る。そんなときに、来月の仕事のシフトが決まる。3日連続の休みがあり、シフトを決める社長のミスで5日連続の休みがあるとの事。5日連続の休みは、社長が気を遣い、「必要なら5日間の内、どこかにシフトを組むから…。」と、労働者の追及を恐れてかの弁を言う。シフト上、5日間連続の休みも可能との事。時間が空く。何かをするには持って来いの時間。

通常のシフトを考えてみても、夜勤明けの時間があり、その後の2日間が休日という事も多い。時間の余裕はもともと有った。それをうまく活用する考えが足りなかった。そう思うと、やはり、動き出したい。それが今の自分に必要なんだ。なんとか活動を再開したい。

毎度、何かをしようとしてぶち当たる主な原因の壁は「金銭面」である。以前から、何処かの離れた地で路上演奏をしようという考えは浮かんでいた。しかし、その離れた期間に必要な費用。生活費。月額の支払い。携帯電話代。パソコンのプロバイダー契約料。レンタルサーバーの使用料。国民健康保険料。市民税…。現在、パートタイマーで働く僕にはとてもリスクが高い行動である。そんな僕に朗報が。

渡航代金が安い、航空会社があるというCMである。そのCMの内容を見ると、『札幌~羽田間4800円』くらい。これは、朗報だ。収入の少ない(生活保護よりも)活動家にとって、劇的なサービスである。この際、外来企業の戦略だとか関係ない。関係ないのだ。国内であれば、通常の夜勤シフトの明け~2日間休みを利用し、遠征できる。そのチャンスに目を付けて、自分の活動範囲の縦横無尽な可能性の広がりを感じると、まずは近場からでも始められると思いつく。現時点の自分の財布から考えても、それが一番だ。そう思って、数日間ずつの遠征型の路上演奏ツアーに出ることを考える。

 

しかし、ある行動を決意すると…それを阻害するかのような問題点にぶち当たってしまう。

 

例えば突然、歯が痛くなる。

 

約一年前、歯医者で治療を受けたとき「三ヶ月以内には、抜いたほうがいいですね。」と、顎の小さな僕には生える場所を確保できない親知らずの歯3本をご指名された。

中でも、右下の親知らずは斜め横向きに生えてきている所為で、その部分の歯茎が中途半端な形で歯に被さっており、その歯茎と歯のわずかな溝に食べカスが溜まると「夏日に風通しが悪い場所で生ゴミが溜まっている感じです。」と、若い男性の歯科医はブラックユーモアに聞こえる説明をしてくれた。一年前は、そんな原因で腫れた歯茎をレーザーメスで取り除く治療を受け、そして時は流れ。

今回も歯茎が腫れた。一年前の治療後も、3本の親知らずは存在していた。

『過去の清算』

それが済んでいないことが足を引っ張ってくる。「よし、分かった。3本とも抜くよ。それで一年前の時間を清算するよ!」そう意気込んで行くと、「歯が横向きになっているので口腔外科じゃないと抜けないですね。」「今日は歯茎の腫れがひどいので治療いたします。口腔外科への紹介状を書きますが、口腔外科へ行かれるのは、この腫れが治るまでの一週間くらい間隔を空けてからにして下さい。」

ここでまた、行動が阻害された。

 

腫れが治まる一週間程過ぎて――口腔外科へ予約の電話を掛けた。常識不足を感じた。予約は出来ないのだ。他の病院もそうなのか知らないが、そうなのだ。朝早く、足を運び、診察待ちの大群に面食らう前に、行くのだ。

明くる日、携帯電話の目覚まし時計機能で目が覚める。覚めるが、二度寝。三十分後、一階の階段下から発っせられた母親の「あんた病院は?」の声で、起き上がる反動を得て、起きる。朝食を食べ、明るめの健康な感じの服を選び(自分が不健康に見えるタイプでもあり)、病院の待ち時間対策としての本を選び、出発予定より三十分遅れた時間、車で向かった。

病院は市内でも有数の所で、駐車場が広く…というか何箇所にも別れており、病院敷地内の場所はすでに満車の文字。敷地横の2つ目、満車。その横3つ目、空車あり。駐車場内、空きが見当らない。ぐるりと回りながら、屋外の駐車スペースに空き有り。駐車した後、遠ざかった病院入り口へ歩く。病院に入ると、まず何処へ行けばいいのかが分かりづらく感じた。この病院は数年前に改築され、改築後に始めて来た事もあり馴染みがない。こういうときは総合案内か? あれか? あれなのか? 「案内」とは書かれていないが、入り口付近にあるし多分…ふと横を見ると、診察券を通す機械があり、僕の前を歩いていた中年夫婦が慣れた扱いで診察券を通している。「これだな」と思い、先日、母親に渡された何年も前に使った切りの診察券を入れてみた。読み込まれた。画面操作に従う。口腔外科の文字。タッチ。操作完了。口腔外科への道案内と「今日の流れ」の案内手順」が記載された紙が出てきた。便利だ。安心。口腔外科は「十三番」。案内板は? 天井だ。ぶら下がっている。OK。階段降りて、発見。十三番、口腔外科。分りやすい。受付発見。持ってきていた紹介状を見せた。「申し訳ございません。今回は初診になりますので、ロビーでの受付を済ませてからお越し頂けますでしょうか?」なんか違うのかなとは思ったよ、すこし。

ロビーへ戻り、受付を探す。前方にそれらしい一角がある。そこに向けて歩くと、「紹介状者受付」だったかの一角。これだ。受付している人の後に並ぶ。横から「番号札○○○のお客様」との声。番号札?どこだ?見当らない。後ろ振り向く、何かを呼ばれるのを椅子に座り待つ人々の視線。後ろにも無い。何処だ? 分からんよ、こりゃ。

 

そんなこんなが、僕の生活上の不安感の一例である。口腔外科は患者が少なく、受け付けの後、歯のレントゲンを撮りに歩く以外に面倒な事はなく、ほとんど待ち時間なく診察に呼ばれたのだが。

 

翌日、朝刊に目を通すと――遠征に活用しようと頼りに考えていた例の格安航空会社の運行が今日から開始されたようだ。記事を読んで分かったのだが、『札幌~羽田間4800円』というのは、片道だけの金額との事。往復の金額なのか?と思って、インターネットで調べてみたりもしたが、片道の料金なのか、往復の料金なのか分からなく(片道の金額を載せるのが『常識』なのか?)それは良いとして…。その格安航空会社の運行便が、初日からトラブルがあり、運行がキャンセルされたらしい。

色んな方面から、自分の行動が規制されてゆくようだ…

 

何なんだろう? これは、どういう重なりだ? 運がない? あまりにも、行動をするのに困難な要求が発生する。 

 

 

第五章

 

身に付けてきたもの、総てが、解かれてゆく…。原点に、衰えた部分を残して解除されてゆく感覚。

過去の自分とは決別したはずだった。過去を総括し、振り返ることは済んでいたはずだ。でも今の状態は、積み重ねてきたものが取り払われて、原型だけになっている。

バッティングセンターに通いながら、また、家の中でバットは持たない素素振りをしたりして、追い求めてきた感覚。左打席のバッティング。十年以上、一つ一つの動作を連係させて組み立ててきたもの。それが、後付のもの総てが、崩壊している。元々の利き手である、右打席のバッティングがここに来て、今までに無い感覚でスイングし、強い打球が打てている。

切っ掛けは、些細な意識。今まで意識していなかった、前腕の出し方。何故だか、そこに意識が生まれ、振り抜きがスムーズになった。今まで大体が、引っ張るか、引っ掛けるかの打球だった右打席のバッティングは打球の角度が上がり、ファールになっていたものは、フェアゾーンへの打球になっている。元々、右打席のバッティングフォームは安定していた。一度、きちんと捉えた打球を打てた時期もある。ぐらつきのない、どっしりとした感覚は常にあった。以前、友人と公園で野球をしたりする際にノック打ちをするとき、右打席でのスイングでのミートは安定していて、左打席でのスイングではノック打ちが空振りになっていた。だが、バッティングセンターでの場合は、左打席の方がバットに当てるのがうまく、右では当たりにくかった。この右打席での好調を探ると、体重の乗せ方と伝え方が要因なのではないかという考えに行き着いた。左打席でのバッティングにはとても自身があった。年に1・2度訪れる好調時には、凄い打球を打つことが出来ていたし、年々、スイングも完成されてゆき好調な期間も長くなった。それでも安定感が乏しい感じは拭えず、球を捉える感覚のズレがほとんどで(速い球以外は呼び込んで強く打つことが出来ない)、淡白なスイングになることが多かったのだが、それはアウトコースのボールを呼び込んで打つことがずっと出来なかったからだと、感じていた。というか、アウトコースの球がバッターボックスに立つ視界から消えて見えていた。スイングを始める瞬間までは良かった。しかし、前足が地面につき、スイングが開始されるとき、後ろの股関節に乗っていた体重が、前の股関節側へ、つまりその分、身体が開いた形になり、頭の位置というか、目の位置、視界が、ズレてしまっていたのだ。そのため、例えば、インコースに球が来て打ちにゆく場合、予測より早くスイングが出てしまう。アウトコースに球が来て打ちにゆく場合、「捉えた!」と思った瞬間、空振りしたり、引っ掛け続けてきたのだと思う。

これは、ちょっとした発見なのだろうか? ちょっとした意識の仕方から生まれたことであったのだが、今まで取り組んで築き上げてきたもの(左打席)の直すことが出来なかった欠点(目線のズレ)、つまり、限界点だったこと。それが、いつの間にか自然に出来上がったもの(生まれながらの右打席)の成熟で気づかされる。

意識して、取り組んできたものには、それだけでは補う事が出来ないものがある。そして、自然に作られるものには、余計なことがない。

 

この状態、状況――これまでの自分を再び組み立て直すとするなら、何が必要なのか? そう、問われているのだろうか?

 

 

第六章

 

ホームページの制作と、音楽活動の行き詰まりと…その解決のために、ある友人に助けを求める事にした。

その友人とはこれまた以前に、僕の思考が合わなくなり関係を断ってしまった友人である。そして、今回は、力を貸して欲しい、と。

 

彼の家へ伺うと、彼は家の物置で自転車を磨いていた。僕の知らない見慣れない自転車だった。ここへ来る前、どんな第一声でもって彼に話しかければいいのか歩きながら考えていた。やはり、以前に僕の方から彼を突き放した事を詫びなければならないと考えた。だが、そこにプライドが出てくる。「なぜ、そこまでしないといけないのか?」「そこまでする必要はあるか?」と。だが、なんとか自分に言い聞かせて、侘びをしようと心を固めていた。彼の姿を物置に見かけた時、声が詰まった。言葉に出す瞬間を躊躇った。これもプライドか? 恐れか? 「どうも」だったか、これを第一声にしてしまった。続いてはっきりとしない声で「色々と迷惑を掛けて、申し訳ない。」と口にした。彼は、はっきりとしない僕の声に反応してくれて、怒ってはいないよという口調で言葉を何か返してくれた。彼は物置に置いてあったパイプ椅子を取り出し、差し出してくれた。僕はそれに腰掛け、彼との関わりが途絶えてからの経緯を、彼の求めに応じて話し始めた。

経緯を話した後、彼が僕の状況を整理しながら、彼の経験に照らしつつ、僕の心境までを確認する作業に移ってゆく。これは、彼と交流していた頃にも観られていた僕とのコミュニケーションを取る為に彼が打ち出したであろう推移の仕方である。彼は打開策を考える。考えを打ち出す。問い掛けに対して僕が反応する。こういった意志の確認作業を進めてゆく。そしてある段階に進むと、問い掛けに僕は沈黙する。

「楽しんでやってるように観えない。」「何か、楽しみを見つけた方が良いんじゃない?」「これ以上言うと個性を潰すようになってしまうからな…」慎重な言葉を選びながら、彼は問い掛け続ける。僕が黙り込んでしまう為に。コミュニケーションが円滑にならない為に。僕がようやく考えを口にすると、「そういう事じゃないんだよ。」

どうやら彼の心情を結ぶにはあるキーワードが必要で、その前に、彼が僕に対して積もり重ねた疑念を取り払わねばならないようだ。そして彼は、その僕の変わらない部分を取り上げて、「足りていない。」と云う。彼がヒントを口に出し、段々とその求めの輪郭が見え始めてくる。「今日は何で来たの?」

僕は沈黙し考え「ホームページの制作に力を貸してほしいのと、謝罪から…?」

「そうじゃないんだな。」

僕は沈黙する。

「彼が求めている言葉を探し当てるゲームになってしまった。そこで僕は黙り込む。沈黙する…。語彙がないから? いや、プライドに触れたから?

「よりを戻したいからじゃないの」

そうなのだろう…いや、そうなのだろうか? 単純に助けが欲しかったから。もちろん関係の修復をしたかった。だが、それ以上の考えは持って来ていなかった。そして、その糸の細い気持ちを何とか繋ぎ留めようとしている状況になってしまった事に気づく。

このゲームには参加したくないと思った。そこまでして、そこまでしなければ、この人と関わることが出来ないのか、その考え方に合わせなければいけないのか? テンションを。波長を。これが、誰かに時間を割くために欠かせない条件だ。彼は辛抱強くやってくれたが、僕はもう元気がなくなっていた。彼に捨て台詞を残すように。

「今日は仕切り直しだね。」そして僕はその交渉には乗らなかった。

 

場を共に過ごすというのは、テンションだ。考え方を合わせたり、ぶつけたりして、やり取りをするにでも、熱が欠かせないようだ。そして、僕にはその熱量が感じられないらしい。「熱意を感じない。」「どうしてもっていう気持ちが感じられない。」

 

そして彼が以前、僕の作った音楽に対して抱いていた「葬式みたいな音楽。」この言葉が頭に居残った。

 

僕は、ただの付き合いづらい人間であったようだ。

 

 

第七章

 

詩には、こりごりしている。でも、逃れられないのであろう。浮かんだ言葉が捨てられない。こうして、携帯電話の保存メールに残してしまう。癖というよりは、使いどころを待っている。「何処かで、いつか」

 

そう、何処かで、いつか――

 

不安定で有るという事。人はそれを見つけて、安定させようとする動きに出る。そう、ドミナントをトニックに解決するように。ドミナントには、耐えられない。サブドミナントなら? 進行を、進路を、話してはならない。それは、隠しながら、進めると良い。あれこれもトニックに解決されて、単調になりたくないのなら。