lona-hallelujahの日記

人の成り行き “一度、あきらめた場所で”

小説「一度、あきらめた場所」第9声「僕のつまずき」

 

 

 「僕のつまずき」

 

 

 友達と遊んだ。

ドライブ中に、メールをくれた、あの友達だ。

 

遊ぶことなく終わったあのメール以降、時々、メールが来るようになった。

メールの内容は、特別な事はなく

遊ぶ約束をして、僕の家やその友達の家で、TVゲームをしたり、何処かでお酒を呑んだり。その友達は、親の手伝いをしていて、その関係の話しを聞いたり。その親が経営している洒落たバーに行ったり。日常に流れたTVや話題、互いが共有した過去の想い出。たわいのない話しが9割9分9厘。中学生の頃、大学生の頃の遊び方、時間の過ごし方の延長のやり取り。それをお互いが求めた。

僕はゲームを買って、その友達を家に呼んだ。何年も振りにゲームを買って、しかもゲームの機体まで(プレステ3なのだが)。

昔、持っていたゲーム「バイオハザード」シリーズの“6”が近日発売するとの事をインターネットで知り、4や5が発売されていたのか…と。僕が知っていた頃から、そこまで続いていたのか…と、時間の流れを感じて…何故だか、急にやってみたくなった。

ニコニコ動画のゲーム実況というのを知り、それにハマって。バイオハザードシリーズのゲーム実況を視聴するようになった。バイオハザードが特別好きだった、という訳ではないのだけど、むしろ恐くて、敬遠していたし…。だから、このとき、時間をやり過ごす何かが必要だった。

それで結局、6の発売を待ちきれずに…プレステ3と、そのソフトで有ったバイオハザードの“5”を買い、その友達の家に持ち込んだ。

僕は楽しかった。

 

自分が好きで買ったものだから。

自分がニコニコ動画で前もって知った、攻略のコツを試しながら、自分本位に友達に手解きして、知ったかプレイが出来たから。

自分が好きなもので他人と時間を共有できたから。

 

でも、その友達は途中まで付き合ってくれた後

「疲れた」「このゲーム、酔うわ」と。確かに、このゲームの操作は慣れないと、画面の切り替わりで気持ち悪くなるのだが。

そこで、「あれはいいわ」と、再び会うとき、やることはなかった。

 

 

ある時、

 

その友達がメールで「そういうの好きなら、こういうゲーム(僕が)好きかもしれない」と、

自分が好きで、尚かつ、僕にも合うだろうゲームを持って来てくれて、彼はそのまま貸してもくれたし、僕はやってみた。

だけど、なんだか合わなかった。

 

僕の趣味なのか、彼との誤差なのか、

「そういうの好きなら、こういうゲーム(僕が)好きかもしれない」という彼の気持ち。

彼の家に持っていったバイオハザード5を遊んだ僕の気持ち。

お互いが、好意で選んだものなのに。

彼との趣味の隔たり、彼と共有した中学や大学時代の過ごし方の頃、それとは、もう

僕と彼の時間は離れて、異なるテキスト、異なる興味、異なる考え方、隠し切れず、

こうして再び、共有しようとしてみても、それは、その隔たりが浮き上がってきてしまう。

 時間を共有することが、やはり難しくなっている

 

 

そう気づいてからも、彼が持ってきたゲームをやった。難しかった。

僕は、あんまりゲームは得意ではないし…必要ない…と、改めて思った。

 

 

僕がこうした普通の、お酒を飲んだり、TVゲームをしたり、友達の愚痴に付き合ったりする、その時間の過ごし方

それは、これまでの僕には退屈で(今でも多少は…)必要なかった

でも、その時間のやり過ごし方が、この人生の長さに付き合うための息抜きの一環なんだと思い直してみたが、それで良いのだろうか。

その生き方、僕は、やはり時間を無為に過ごしている。

 

僕は、堕落したのか?

 

もう一度、自分が過ごしてる環境を見直している。

 

 

この場所が、僕の日常だ

 

 

 

「日常に在りふれた何かから、変わろう」と、

一通りの雨を経験した後、僕は、日常に戻って来ている

 

 

このザマ