小説「一度、あきらめた場所」第27声 「終わった唄のために-遅れてきた感覚-」
-遅れてきた感覚-
あれは 5月頃だったか
職場の近く、街の音楽行進がある日だった。
その日は、それが楽しみになるからと、職場の利用者の方々を連れて見学にゆくことになっており、僕はその係り(担当の階だけ)暑い、雲ひとつ空にないような、太陽が照りつけるアスファルトの地面と、音楽行進を見学する人の群れ、それらの熱量を浴びる係りだった。その日、あの娘は音楽行進に参加するため、仕事は休み。だから利用者の人に、その娘が演奏している姿を見せられたらという思いがあった。特別な意識はなく、僕が見たかったわけでも。
利用者の方と外に出るときは、デジタルカメラを持ってゆく。撮ったあと、思い出を残すためではあるが、有意義な活用方法はまだなくて、外出するときに何となく持ってゆくアイテムだった。
お祭り好きの利用者さんを連れて、アスファルトと、人の群れの熱量を歩いた。
人の群れは路肩を覆い、そこにスペースはない。なんとか空きを見つけて、ひと1人分。そこから、音楽の行進を覗く。時間は、あの娘が参加する楽団に合わせたのかはもう忘れた。あれは、どこどこの高校。あれは、あの中学の。あれは社会人の…と、楽団の先頭者が掲げて行進するプラカードを確認しながら、お祭り好きの利用者さんに説明をして。そうやって、すこし見学をしてからだった。前もって、あの娘に楽団の名前を訊いていた。その娘の楽団のプラカードが見えた。
利用者の方に「来ましたよ」と伝える。僕は、カメラを構える。
ファインダーから覗くーー何処に居るのか、わからない。その娘が見当たらなくてー楽団が進むーでも、楽器ーークラリネット。クラリネットの演奏者たちが向かって、こちらに行進してきた。ファインダー越しに探すーー見当たらないその事に? そわそわした。
そのとき。
落ち着かない感覚だった。
そわそわとした、胸の鼓動が聴こえてきた。
そして
ファインダーの中で
その娘を捉えたーー
それは特別に、特別なものに、見えた。
好きになっているんだなと
気づく
もう一度、 恋に出逢う
帰り道、利用者さんを連れて歩く。あの娘の楽団が行進を終えて、向こうの道路を歩いていた。そこでも姿を追っていた。いや、意識していないと自分に言い聞かせながら、何か気持ちの部分を装って。横断歩道、あの娘が見えた。友人なのか、歳の近そうな女の子と演奏を終えたその興奮について身体から感じるように話していた。
自分の感情に気づいた後、その姿を眼で追っていた自分に気づき、眼を伏せて、通り過ぎた。
ファインダーで覗いたとき、それは特別なことに思えた。
それが、愛 だったのか わからない
僕を縛っている価値観って、なんだろう?
僕は、何か、生き方を縛っている
幸せから、離れて
身近にも、特別があることを忘れて
遅れてきた感覚の中で、戸惑っているのか
僕は何かを果たしたかった
でも、それはこの方法ではなくて
前世に引っ張られているのか
余計な荷物を感じているのか
手放すべきものは?
叶えるべきものは?
普通のなかの特別な情景がある
でも、ぼくは 選択をしない選択もありえるのだと
後悔することって…?